畑をつくるとき、土は最初から固定された舞台でしょうか。作物を育てることで、残る根や有機物、手入れの仕方が次の栽培条件になります。次の季節は、前の季節を通った場所から始まる。この動きを0120で眺めると、最後の0が次の0になる、という見方が浮かびます。
会話でも、言葉を交わした経験が、次に話せることや相手への期待を変える場合があります。ものをつくるときには、できあがった作品が次の人の表現の材料になる。別の分野に、似た循環が見えてきます。

こまが探りたいのは、この広がりです。鶴鳴・界和・0120を人間関係だけの話にせず、自然や世界の成り立ちを考えるところまで進めたい。そのために、微生物と土、境界とやり取り、生成と循環を調べています。
ただ、何にでも同じ図を重ねられるとしたら、逆に何がわかるのだろう。土の中の物質の移動と、人が言葉の意味を受け取ることは違います。似た形が見えたあとに、それぞれで実際に何が作用し、何が変わるのかを、もう一度見たいと思っています。
また、場が変わることは、いつでも望ましいこととは限りません。豊かになることも、次の活動が難しくなることもある。「循環した」と説明することと、「どんな循環を育てたいか」を選ぶことは、つながりながら別の問いです。
まだ考えていること:0120を使うことで、普段は見逃す何が見えるのか。反対に、どんな現象では説明が足りなくなるのか。似ている事例だけでなく、うまく当てはまらない事例からも、考え方を育てられるだろうか。
日々の中で、眺めてみるなら。
自分が関わる前と後で、その場所や関係に何が残った? 次にできることは変わった?
この問いのそばにあるもの
Di Paolo & De Jaegher — Enactive Ethics: Difference Becoming Participation ↗身体と活動、相互の変化、参加を考える哲学的な論文。0120を証明する論文ではなく、共通点と違いを考える読書の入口です。
古典・作品・論文の紹介と、こまとAIの対話から育てた見立てを重ねたノートです。原典がこの問いへの答えを決めているわけではありません。
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